赤ちゃんの育児に中学受験から高校受験、、、東京に住むとある母と娘の奮闘記
桜 受験 

都立小石川でサクラ散った中学受験はトップ校を目指すために必要な出来事だった。

 

まもなく2020年の東京都立中高一貫校の入試がスタートしますね。

今回は現在、難関校と呼ばれる高等学校を目指すことになった娘のスタートを書いていこうと思います。

 

 

と、いうのもタイトルの通り一度挫折をしているのです。

中学受験というのはメンタル的にも体力的にも金銭的にも大変なものですよね。このブログを読まれている方の中には諸々疲れきっている方もいると思います。

でも、そんな中学受験もあと少し。

少しでも励みになれたらと今この記事を書いています。

 

せっかく通わせるのであれば志しは高く、、、

公立の中高一貫では最難関と名高い「東京都立小石川中等教育学校」を志望校に受験勉強を始めました。ちなみに決めては文化祭の見学です。

こちらの学校のクラス演劇はどれもオリジナリティに溢れ圧巻と感動の嵐!

3年生の演劇には身震いを覚えましたし、娘も「中学に入ったら演劇部に入る!」と言わせるほどのクオリティでした。

小石川は公立中高一貫校の人気が年々高まっている中でも話題の学校です。現役東大生も年々増えていますね。今後もさらに人気が加速していくと思われます。

 

過去には政治家の小沢一郎さんや内閣総理大臣になった鳩山由紀夫さん、作家の澁澤龍彦さんの母校でもあります。

いきなり高嶺の花を目指しすぎ、、とは理解しつつも目指したくなる魅力がこの学校にはあります。

こちらを志望した理由になるかと言われたら少し違う気もしますが、小学校の同級生は私立御三家などを志望している子も多く、娘もその子たちと変わらず5年間を歩んできました。

後から考えれば安易な考えであったとは思いますが、当時は同じ仲間が出来ることに手が届かないなんて事はない。と前向きに中学受験をスタートしました。

すでに6年生になる年の3月でしたので公立1本と決めて始めました。

おめでたい親?耳が痛いですが、そうなんです。可愛い一人娘ですからそんな風に思えてしまうものなんです。

それに高校受験で自分が塾に通いだして、グッと成績が伸びた記憶が鮮明に残っており、チャンスはある!と思いました。

 

4人に一人が落ちる中学受験は想像以上に厳しかった。

 

 

 

一般的に中学受験で第一志望に受かる子の確率だという4倍。

ただでさえ厳しい倍率が、小石川ときたら約6倍ですね。

 

私自身は中学受験を経験していません。

 

なので中学受験の偏差値を正直かなり甘く見積もってました。

これは経験しないと分からないと思うんですが、

中学受験の偏差値は相当努力しても、なかなか上がらないです。

 

やれどもやれども偏差値50そこそこで、これには私も落ち込むことの連続でした。特に我が家は勉強させる事自体が初めてのような状態….中には小1から始めているというツワモノまで。

いや、うちの子は普通に上がったよ?というお子さんをお持ちの保護者さま、私はそういうお子さんは全国区の上位2%以上だと思ってます。

ちなみにですが娘は初めて書いた適性検査1(作文)では担当の先生に、

「さすらいの旅人かと思った、、、初めて見たタイプです。」と言われてしまうほどの始末。

 

しかも適性検査Ⅱはもっとできなかったんです。理系の強い学校に行きたいのにおいおいって感じですが、ほぼ10点とかからでした。

 

とはいえ、本気で頑張っていましたからみるみる上達していきました。数ヶ月で同一人物が書いたとは思えないような作文がかけるようになったんです。

娘は毎日、学校の下校からそのまま塾に向かい夜10時まで塾で頑張りました。生まれて初めての缶詰で精神的にもかなりキツかったと思います。

なのに、

やれどもやれども、成績がほんのわずかしか伸びないんです。

 

娘の成績の伸び代が目に見えて分かるのにです。

 

中学受験生は「ガチ勢」しかいない

 

私に出来ることは育ち盛りの娘に栄養たっぷりのお弁当を作ることのみです。朝5時に起床、主人と娘のお弁当に気合いを入れて作ります。冷凍食品は一切使わず、毎日19時の休憩時間に届け塾の終わる10時にお迎えに行きました。19時にお弁当を届け終えたらまた仕事へ。この時期はとにかく残業代が欲しかったので無理をして働きました。

夏以降、本格的に受験モードに入り成績順にクラスが振り分けられ、

 

まさに受験戦争、皆ライバル。

中受生たちは勉強を始めた期間もそれぞれ違う事に加えて、まだ精神的に幼さの残る子も多く、「あの子には負けたくない!!」みたいなバチバチが半端じゃあないのです。小学生の受験はある意味いちばんドロドロしているかもしれません。

高校受験の話をあえて出しますが、

「受験なんてしてもしなくても、、、」

みたいな子達でも偏差値50くらいあった印象がありましたが、

ここでは小学6年生のこの時のために何年もコツコツ勉強してきた強者の集団、偏差値50を取る事がこんなにも難しい事だとは経験をしないとわからないことってあるのですね。模試の厳しい結果には中学受験には本気の子供しかいないということを改めて痛感させられました。

 

選抜で娘が始めたのは5クラス中4番手のクラスから。

持ち前の負けず嫌いで夏には2番手のクラスへ。。。

毎日7桁の計算問題を1問1分以内で解くなどストップウオッチを使い、日々訓練したり努力していたのですがどうしても算数が苦手で伸び悩み、すすめられた個別指導も取ることにしてさらに勉強時間を増やしていきました。

夏も終わり9月の模試の結果は平均偏差値51、、合格の可能性30%未満。

(実際の当時のもの)

 

 

 

過去問によっては合格点まで届きかけることもありましたが相性の悪い問題がひとたび出れば全く相手になりません。

 

受験を通してでしか知り合えなかった人々

この時の塾の先生方や友人との出会いは長女の人生にとってかけがえのない経験になったのではないかと思っています。

 

平常時の塾授業では選抜関係なく全員が同じ教室で授業を受けるスタイル。これが今思えば非常にありがたかった。

 

小学生でもとんでもなく成熟し、驚くほど賢い子っているんですね。

 

中学受験はまさにそういう子が向いているんでしょう。実際、目の前にそういう子が現れると二つ三つ上の学年なんじゃないかと思うほど社会性がある子がいました。(一人でアキバや映画、自転車でどこまでも、、小銭稼ぎまでしてしまう女の子)

たまたま長女とその子は意気投合、たくさんの刺激を受けました。

毎日本当に楽しそうに塾に行っていました。

 

ある日、その子が長女にわざわざ勉強法のアドバイスをびっしり書いた手紙を書いて来てくれたんです。

そんな時間があるなら自分の勉強をしなさいと両親に言われてもおかしくない量でした。

それは塾講師の添削をある意味超えていて、目指している学校はこういう子がいく場所なんだ、と長女も改めて入学したい気持ちが芽生えたことだと思います。

 

 

また、担当の先生も情熱ある教育者でした。

 

「君たちの夢は無限大でたくさん勉強すると、たくさん選択肢が広がってどんどん自由になれるんだ。」

 

真剣に子供達の目を見て教育する先生で、子供達もこわいこわいと言いながら、授業にやり甲斐を感じていました。

 

涙を拭った受験当日

 

たった1年、けれど私たち家族にとっては1日1日が

ほんっ〜〜〜〜

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

〜〜〜〜〜〜〜っ

と〜〜〜〜〜〜

 

 

長く、、、

 

長く、、、、

 

長く、、、、、、

 

長く、、、

 

感じられた1年でした。。。。

 

受験日までの10日間、長女は学校へ行かず

ひたすら家で勉強をしました。

 

過去問をやり尽くしました。

 

銀ボンもやりこみました。

 

当時の家は受験が終わってから引っ越す事が決まっており、冷え込みが厳しいアパートでした。

電気ストーブの他に、湯たんぽや暖かい飲み物がないととても集中できないくらいで体調を崩さないか心配でした。

 

 

 

受験日当日を迎え、緊張の面持ちで小石川の門をくぐると

 

そこには夏期講習で

 

「君はきっと、伸びるタイプの子だよ。」

 

と優しく声をかけてくれた初老の先生がいました。

先生が娘を見て、

ハッとして

「こっちこっち!」と両手で迎えてくれた眼差しがいまでも目に焼き付いています。

そして

その先生と軽く握手した後、

すぐに潤んだ瞳を隠そうと、うつむいてにっこり笑った長女の小さな姿も昨日のことのように思い出せます。

 

その時は私まで目頭が熱くなりました。

 

「頑張ってね!」

 

僅かに頷く姿を最後にあっという間に人混みに溶け込んで見えなくなってしまいました。私も主人もしばらくそこを動けませんでした。

 

受験終了まで時間を潰すためすぐ近くのデニーズに入ると同じような人でごった返し、、、。結局入る事ができず巣鴨のジョナサンまで移動する事に。

 

娘はどんな思いで問題と向き合っているのだろう….。

「頑張れ。」しか言えない母はもどかしくてたまりませんでした。

 

 

終了時刻の10分前にまた学校へ、下駄箱を長い事見つめていました。

 

チャイムがなり、

 

子供達がぞろぞろ出てきます。

 

なのに娘の姿が見つからないのです。

 

(え?…え…?娘はどこへ?)

 

待てども待てども、帰ってこない。

 

(うちの子は???)

 

持たせてある携帯に電話をかけると、しばらくして繋がりました。

 

「もう、学校を出たよ!」

 

後から聞けば、入試が終わり次第一目散に走って校舎を抜けたと言うのです。

 

そして一言

 

「、、できなかった。」

 

と言っていました。

第一志望以外なら行く意味ない。

kokomo

 

 

中学受験では鉄板の滑り止め校に合格してから第一志望に挑むと言うのがよくあるお約束。

これを娘は必要ないと断言しました。

「小石川しか行きたい学校がないのにわざわざ違うところには行きたくないよ。」

 

第一志望でもない、知り合いもいない、だったら公立校に行く方がいい。

 

慰めの合格なんていらないタイプの子もいるんです。

 

滑り止めは一校も受けないまま、

私たちの中学受験は幕を閉じました。

 

中学生になり始めて受けた模試の結果に衝撃!

 

 

心機一転、4月から娘は地元の公立中に入学しました。

 

これを機に塾も変えることにしました。

 

特に不満があったわけではないのですが、娘が通っていた塾は公立中高一貫対策に特化したところ。もう公立中高一貫校を目指す必要はないので早めに新たな目標にシフトしたかったのです。

高校受験まではあと三年、公立だとか私立だとか、国立だとか、まだ決める必要もないと思い全ての対策ができる進学塾に変更しました。

退塾する時の担当先生の暖かい言葉は忘れられません。

「世の中には小石川より良い学校は沢山ある、大きな声では言えないけれど、今回の選択が間違っているとは思わない。良い選択をした、、次はきっと大丈夫だと思うよ。塾とか関係ないから、応援しているから!」

 

涙涙のひと時でした。

 

順調に新しい学校と塾にも慣れ、中間、期末と都の学力テストが終わり1学期が終わろうとしていました。

返却されてきたテストは9割以上は取れていました。1問間違えが多い。ケアレスミスが多いのは勿体無いところ。地元の公立中学校の問題は、小石川の入試と比べるまでもなく、あまりに簡単なものだったことが親子共に印象深く残っています。

 

学校の個人面談を迎えると

担任の先生が用紙をペラリ。

学力テストの結果と内申点の結果が、、、

 

3教科計72 5教科計74

 

この印刷ミス的な偏差値はなんなのか。

その下にはこんな数字も、

 

総合得点913点  都立戸山高校 都立日比谷高校 

 

「もう、進学先は決められていますか?」

 

「このままいけば選べる学校が沢山あります。よく考えて決めていってください。」

小学6年生の頃、娘の模試の結果を心底喜んであげられていなかった事をこの時とても後悔しました。

娘は確実に成長していました。

 

1年前の方が勉強量ははるかに多かった、今の追い込みなんてあの頃に比べたら、、、

分母の成績が違うだけで偏差値50が良いところだったあの子が偏差値70越えの結果になっていて色々な意味で度肝を抜かされました。

 

継続は力なり

 

最後に、今回のブログで何が一番言いたかったというと

 

娘がよく言うんです。

 

「あの1年で基礎を固める事が出来たから今がある。」

 

中学受験は一見、受かるか落ちるかの2択しかない気がしますが、

リベンジが一番効率よくできる受験だと思っています。

なぜなら、周りの第一志望に涙した子たちは第2、第3で受かった学校に進学する子が8割です。

 

まだ1度も本格的な勉強をしていない子たちと同じ土俵にのり戦えるのです

 

 

うちの子なんて、、

もう遅すぎる、、、

 

なんて思われているご両親。

 

どう考えられますか?

 

 

今回はこの辺で、、、今後も受験系書いていきますね。

 

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